2007年09月24日
大和 2
自分でも気がつかなかったけど、ひょっとしてわたしは船が好きなのか?
大和に魅せられてからというもの、SLのあちこちの船に行きました。
なかなかいい出来だな、とは思いましたが心は動かず、大きな模型のように感じます。
船でもなく、プリムで見事に作られた工作物、客観的に冷静に見ることが出来ました。
大和はプリムで作られているため、曲線の表現には限界があります。
他の船には、3Dソフトを使って大和より見事な曲線を描いているものもありました。
それでも、大和に帰ってくると、少し角ばっているところもそれはそれでいいなと感じてしまいます。
煙を吐いて港に停泊している大和は模型でなくて、「船」そのもののように感じるのでした。
出会った頃の大和は、綺麗な青色でピカピカに輝き、今よりもずっとすっきりした形でした。
それから少しずつ部品が増え、テクスチャもよりリアルになっていき、次第に実物らしくなっていく大和を見て、わたしは気がつきました。
これまで大和については、その歴史や船の形くらいをあやふやに知っている程度。
戦争は嫌いですが、それでも国のために戦って沈んでいった大和には、意識はしなくても心のどこか奥底で、何か深い追悼の気持ちを感じていたのかもしれません。
大和をはじめて見て、ああ、これが大和なのか、なんて綺麗なんだろ、と感動しました。
新品のように綺麗で、前を睨んだ大砲はもう火を噴くこともなく、もう何かを傷つけることもなく、もう自らが傷つくこともなく、穏やかに静かに煙を上げて佇んでいる姿。
兵器としての使命を終え、天国で安らかにしている大和の姿としてわたしは見ていたのでしょう。
そして、大和に惹かれていったのでしょう。
次第にディテールが施され、よりリアルに、より力強くなっていく大和。
まるで、この世界に蘇ってくるようです。
はじめは戸惑いました。
大和が眠りから覚めてしまうように思えたのです。
大和から戦艦大和へと戻っているように感じました。
それほどまでに作者の気迫のこもった作品になっていきます。
でも、不思議と兵器としてのとげとげしさを感じませんでした。
大和に降り立つと、今までと変らない温かさがあります。
きっと作者はそんな哀悼の思いを込めて大和を作ったのかもしれません。
まさかどさんの大和は、沈んでいった大和へのレクイエムなのかな。
Posted by mizuki at 23:03│Comments(0)
│大和
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